@ 2016 by snow sound /shasin no heya

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​長編 エナメルの夜を泳ぐ魚達

#-05 二子橋の上で

 リリーは、長い髪を上でまとめ、クリーム色のシルクの袖なしワンピースを着て素足にヒールの高いシルバーのミュールを履き、アキラは、Hanesの白いタンクトップにLEVIS501と紺色のドクターマーティンを履いて、多摩川に架かる二子橋を歩いていた。八月のオレンジ色に光る太陽の光で、透けて見えるリリーの体のラインをすれ違う人達が横目で見ている。

 マンションを出るとき、アキラはクローゼットの鏡の前に立ち髪をとかしているリリーに、裸でいるのと変わらないんじゃないと言った。リリーはワンピースを胸までたくし上げると、肌色のシルクの下着を見せながら、下着はつけているからと微笑んで、このワンピースはハルがプレゼントしてくれた服なのと言った。そして、アキラと初めてデートしたロンドンの動物園でも着ていたのは覚えている?と言った。

 リリーがアキラと初めて出会ったのは、リリーが所属しているモデル事務所の応接室だった。応接室に入ってきたリリーに事務所のマネージャーが、ミュージシャンのアキラさんですと紹介した。

「知っているでしょう?Waterのボーカル」マネージャーが言った。

リリーは遅れてごめんなさいと曖昧な笑顔を向け、アキラは、よろしくお願いしますと言いながら右手を差し出した。

 Waterのレコーディングとプロモーションビデオの撮影はロンドンソーホーのチャリング・クロス・ロードにあるスタジオGDBでおこなわれた。プロモーションビデオの撮影終了後にアキラはリリーをロンドン東部にあるリージェンツパークへ誘った。

 青空が広がる空の下、リリーは俯きながら歩くアキラの横顔を沈みかけた太陽のオレンジ色の光が照らし出す長い睫毛と細い顎のラインを見て、何気なく、死んだ父のことを思い出していた。私が幼いときに父はよく私を連れて家の近所にある川沿いの公園に連れて行ってくれた。私の手を引いて歩く父の手はとても大きくて、顔を見上げると今日のアキラのように、太陽の光が顎のラインに影を作っていた。リリーは、自分の左肩に時々触れる、アキラの右肩の感触を感じながら、アキラが手を繋いで歩いてくれたらきっと楽しいだろうなと思った。アキラとリリーは公園内に広がるリージェンツパーク湖に沿って、何も話さずただ歩いていて、ピンクのパーカーにストライプのズボンを穿いて緑色の瞳をした幼い女の子を連れた老夫婦とすれ違ったとき、アキラが急に立ち止まり思い出したように、この公園には動物園があるんだと言い、リリーの手を引いた。

 London Zooの白頭鷲の檻の前にあるベンチに座り、アキラはビデオの撮影は疲れただろうと言った。

「そんなに疲れてはいないよ。でもこういう仕事は初めてだから最初は戸惑ったよ」リリーは檻の中で高い木の枝に止まっている白頭鷲の黄色い嘴を見ながらそう言った。鷲は時々黒い羽根を広げて空に羽ばたくのだけれど広げた羽は短く切られていて、鷲は黄色と黒の瞳で空を見上げながら羽をしまった。

「戸惑った?そんなふうには見えなかったけど?」アキラはリリーの赤いエナメルの唇を見ながら言った。

「バンドの人達もスタッフも好い人達だったから、うまく出来たんだと思うよ。演技なんて私、したことなかったから」

二人の前を通りすぎていく人達の顔は皆笑顔で、黄色の風船を持っていた金髪の男の子が白頭鷲の檻の前で立ち止まり、鷲を指差しながら一緒にいる母親に何か言うと笑いながら、持っていた風船を手放した。風船はゆっくりと風に揺られながら空へと上がっていき、枝に止まっていた鷲は風船を見つめながら小さな羽根を広げると、何度も羽ばたいた。

「ねえ、湖を歩いているとき、手を繋いでくれたでしょう。うれしかったよ」リリーはそう言って微笑んだ。アキラはリリーの左目の下にあるほくろを見つめながらキスをした。

 橋の下からバッハのロンドが聞こえてくる。誰かがヴァイオリンの練習をしているらしく、リリーが夏の暑い日に聞くバッハっていいねと言い、橋の手摺りに身を乗り出して下を覗いた。橋の上からは川と芝生しか見えずリリーは残念そうに、弾いている人は見えなかったと言いながら、アキラのジーパンのポケットに手を差し入れた。

「きっと、弾いているのは女性だと思うよ」リリーが言った。

「どうして?」アキラが言った。

「だって、音が優しく聞こえるから」そう言って、リリーは曲に合わせて、指揮をとる真似をした。

 橋と平行して架かっている陸橋を田園都市線中央林間行きが走って行く。レールの軋む金属音が鳴り響き、ヴァイオリンの音が聞こえなくなり、その音に負けないくらいの声が二人の後ろから聞こえた。

「すいませぇぇぇぇぇぇぇぇぇん」

リリーが後ろを振り向くと二十人ぐらいの坊主頭がナイキのロゴマークを大きくプリントしてある白いランニングシャツと短パンにアシックスのランニングシューズを履いて、二列に並び足踏みをしていた。

「すいません、左側を追い越します」先頭にいた黒縁めがねをかけた坊主頭が言った。リリーが道を開けると、坊主頭達は追い越して行く度に一人ずついませんと頭を下げて、汗と泥を混ぜたような匂いを残しながら通り過ぎて行き、最後を走っていた坊主頭が振り返るとリリーに向かって、お姉さんぁぁぁぁぁぁん僕達とぉぉぉぉぉ遊んでぇぇぇぇぇぇと叫んだ。リリーは足踏みをしている坊主頭にシャワーを浴びてきれいになってからねと言って、微笑んだ。坊主頭はその笑顔に足踏みを忘れて立ち止まり、ペニスの先からヌルヌルの液体を10cc出して一番のお気に入りのアディダスの黒い三本ラインがはいっている白いブリーフを汚してしまい、坊主頭は顔を赤くしながらリリーに向かって何か言おうとして口を開いたけど、太陽の光に包まれてクリーム色のワンピースからオレンジ色に透けて見えるリリーの体のラインを見て、今まで体験したことない心の震えに動揺し、突然溢れ出てくる涙に驚きながら、走り出した。

「あの子、今、泣いてた?」リリーが言った。

「うん、泣いてた」アキラが言った。

「なんで?私、なにもしてないよね」

「うん?なんかしたんじゃない?きっと」

「ねえ、あの子、オナニーすると思う?」リリーはアキラの耳元に唇を近づけてそう言った。

「坊主頭は法律でオナニー禁止になっているのは知らないの?」アキラがリリーの耳元で言った。

「知らない、初めて聞いた」

「日本中の坊主頭がオナニーするとネバネバの精子が町中に溢れだして、女の子達が妊娠してしまうからだめなんだよ」

「そう、坊主君はかわいそうだね」

「かわいそうだよ。でも考えてみたら、日本中の女が妊娠してしまうんだぜ。小学生からお婆さんまでさ。そうなったら日本の人口がいっきに増えてしまって、中国なんか簡単に越えててしまって、すぐに食糧難がきて略奪やレイプや殺人が増えてしまって大蔵省とか食料庁とか米屋が国民に襲撃されて警察とか自衛隊とか地球防衛軍とか町内の老人クラブのお爺さん達とかが忙しくなってしまって沢山の人が死んでしまうから、坊主頭はオナニー禁止なんだよ」

「そう、可哀想だね」リリーはわざとらしく悲しい顔をした。

「可哀想だろう。きっと、坊主頭の体の中には赤い血が流れているんじゃなくて、ヌルヌルの黄色い精子が流れているんだよ」

「気持ち悪いね」

「気持ち悪いよね。もしも、坊主頭がオナニーしているところを見つかったら」

「誰が見つけるの?」

「坊主頭のお母さんだよ」

「お母さん?」

「そう、坊主頭のお母さんは達は、自然保護団体マロンピースに所属していて、坊主を監視しているんだよ」

「見つかったらどうなるの?」

「二度とオナニー出来ないように、ちんちんの先の皮を伸ばして先端をフライフィッシングで鱒を釣るときに使うピンクのラインで縫い付けてしまうんだ。今、走っていた坊主達の中にも縫い付けられた奴が三人はいるよ」

「おしっこするとき大変だね」

「大変だよ。縫い目の隙間からシャワーみたいに細いおしっこが飛び散るからさ、トイレを汚してお母さんに怒られてさ」

リリーは、アキラの耳元でおしっこしているとこ見てみたいなと言って、笑った。

「ねえ、地球防衛軍と食料庁ってなに?マロンピースって?」

「知らないの?」アキラが真面目な顔をして言った。

「アキラ,クッキー食べた?」

「なにも、やってないよ」

「じゃ、頭がおかしくなった?」

「うん、ちょっとね」アキラはそう言うと笑い出し、リリーがそれにつられてまた笑いだした。

 二子橋の上で笑っている二人を、通りすぎていく人達が見ている。

「アキラ、その話ハルにも教えてあげてよ」リリーが言った。