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​長編 エナメルの夜を泳ぐ魚達

#-06 ユキネ

 ユキネは、テレビの画面に映し出された自分の住む煉瓦造りのマンションを見て、六本木にあるSM専門のホテルのようだなと思った。窓に鉄格子を付けたらそっくりだと思った。ユキネは座っている赤い革のソファーから立ち上がると、リビングの窓のカーテンを少しだけ開けて外を見た。ねっとりとした暑く湿気を帯びた空気が部屋の中に入り込み、油蝉の鳴き声が聞こえてくる。閑静な住宅が立ち並ぶ通りにテレビ局の中継車が何台か駐車していた。ユキネはカーテンを閉めると、ソファーに座りテレビのボリュームをゼロにして、音の出ていない画面をぼんやりと見つめていた。レポーターが話すことはどのテレビ局も大体同じで、番組の司会者もゲストも犯罪心理学者も近所に住む住民のコメントも新鮮味がなくなってきていた。マンションの前でオレンジ色のスーツを着た女性レポーターが汗で乱れた髪形を直しながら話している。

画面がマンションから自分が歌っているVTRに変わった。

「多分、渋谷公会堂?それとも中野サンプラザ?歌っている曲は半年前に出したバラードだろう。彼女のことを愛しているけど別れなくてはいけない、君の思い出のなかで僕は生きていく、Aマイナーの最低のバラード」

僕はこの曲を渡されたとき、歌いたくないとマネージャーに言った。それでは、君との契約は破棄させてもらうよとレコード会社のプロデューサーは言った。

「この曲は売れるんだよ。会社はビジネスなんだよ」ディレクターは言った。

そしてこの曲は、オリコンで1位になった。でも、半年たった今、この曲は世間から忘れられようとしていた。自分の顔がアップになり、赤い文字でロック歌手ユキネ!レイプ疑惑!?とテロップが画面全体に大きく出た。ロック歌手ってなんだろう?ユキネは思った。画面はマンションをバックにマイクを持ちゆっくりと歩きながら話すレポーターに変わった。その後ろをバイクが通りすぎていった。カメラはレポーターからバイクを追い、バイクはマンションの地下駐車場に入って行き見えなくなった。

 

 玄関のドアが開いて、赤い革のライダースに黒い革の半ズボンと赤いエンジニアブーツを履いたオサムが入って来た。

「外はすごく暑いわよ」オサムがヘルメットとゴーグルを外しながら言った。

「汗が沢山でちゃった。もう体中ベトベトで気持ち悪いの、タオル貸してくれない?」

ユキネは笑いながらバスルームにタオルがあるからと言った。

「何がそんなに可笑しいの?」

「何でもないよ」

オサムは肩に掛けていた白いメッセンジャーバックをテーブルの上に置くと、バスルームへ行った。バックの中にはコンビにで買った卵のサンドイッチにコカコーラー、グリーンサラダ、ポテトチップス、マルボロが入っていた。バスルームから戻ったオサムは紺色のブリーフだけの姿で肩にバスタオルを掛けて、ソファーに座っているユキネの横に座った。オサムの体から甘い香りがした。

「ねえ、テレビ局の人達いつまでいるのかしら、外はすごく暑いのに、ビデオカメラって暑さは平気なのかしら?」オサムが画面を見ながら言った。画面にはまだマンションの映像が映し出されていた。

「いつもピンク色のスーツを着ていたレポーター、今日は僕と同じ色のスーツを着ているね」オサムはオレンジ色に染めた短い髪をバスタオルで拭きながら言った。ユキネはバッグの中からサンドイッチを取り出すとそれをオサムに渡して、自分はポテトチップスの袋を開けた。

「毎日、食事を買ってきてくれて、ありがとう」ユキネが言った。

「そうしたいだけだから」オサムが言った。

「ユキネ、こうしてこの部屋に閉じ込められてもう十日だよ。いつまで続くのかな?あいつら、ユキネを画面に出してさらし者にしてさ、レイプなんていまどきぜんぜん珍しいことじゃないのに、アメリカなんて一分に二人がレイプされているんだよ。ユキネばかり、可愛そうだよ」オサムはソファーから立ち上がると、窓のカーテンを少しだけ開けて、マンションの前でカメラを構えているテレビ局の報道人を見つめた。カーテンの隙間から差し込む光がオサムの体に影を作り出し、浮出る筋肉のラインが彫刻のように見えた。ユキネはオサムの体を綺麗だなと思った。

「オサム、最近お前と、寝たの、いつだったろう?」ユキネがそう聞くとオサムは、カーテンを閉めてテレビの前に立つと、紺色のブリーフを脱ぎながら二日前と言い、ソファーに座っているユキネに向かってペニスを差し出した。

「僕のペニスに付いているこの傷、ユキネがやったんだよ。覚えている?」

ペニスの尿道から入れられた金色のリングピアスの横に一センチほどの細長く赤黒い傷があった。

「ユキネが僕に内緒で、エスをきめて、フェラチオしている最中に訳の分からないことを叫びながら、ペニスを強く噛んだんだよ。覚えている?僕はペニスを噛み千切られたと思ったぐらいに痛くて、うずくまっている僕を見ながらユキネはずっとゲラゲラ笑っていて、その後、ユキネは裸のまま部屋を飛び出して屋上へ行って、空を飛ぶって、空を飛んでこんな糞みたいな世界から抜け出してネバーランドへ行くんだって叫んで、屋上の金網を乗り越えようとしているユキネを僕は後ろから抱きしめて、耳元で妖精のウエンディーがまだ迎えに来ていないから空を飛ぶことはできないんだよってなだめて、暴れるユキネを部屋に連れ戻すの、すごく大変だったんだよ」ユキネはオサムの話を聞きながらペニスの傷を見つめていた。オサムの足の間から見える画面には青いエプロンを着けた料理研究家が映っている。ユキネは、ペニスを顔の前に突き出しながら悲しい目で自分を見つめているオサムに、そのときのことはよく覚えているけど、でも、実感がないんだと言った。

「オサムのペニスを舐めているのも、裸でエレベーターに乗ったのも、屋上から金網ごしに見た月も、後ろから抱きしめられたのも、覚えているよ。だけど、裸足で歩いた大理石の廊下の冷たさとか、金網を掴んだ鉄の匂いとか、ペニスの甘い味とかさ、実感がないんだ。そう、映画でも見ているみたいにさ、ネバーランドも覚えているよ。でも、妖精の名前はティンカーベルだよ。ウエンディーはピーターの恋人の名前だよ」ユキネはオサムの顔を見上げた。オサムは頭を小さく横に振ると、手に持っていた紺色のブリーフをユキネに投げつけ、そのまま横に座り、だから、ドラッグは嫌いなのと言った。ブリーフはユキネの肩に当たり太ももの上に落ちた。

「クスリでハイになったって良いことなんかないよ。ユキネに実感がなくたって、僕のペニスには傷があるんだよ。仕事だって遅刻したんだから、ユキネをベッドに運んでとても疲れて、眠りたいのにペニスが痛くて、アスピリンとかこの部屋にはぜんぜん無くて、痛みを忘れる為に僕もエスを飲んで、オナニーして、そうしたらいつの間にか寝てしまって起きたら昼の一時で、撮影の仕事に30分も遅刻して、現場のスタッフとかマネージャーに嫌味を言われて、モデルのハルちゃんには行きたかったコンサートに間に合わなくなったって言われてさ、全部ユキネがわるいんだよ」オサムはそう言ってテーブルの上のコーラーを一気に飲み干すと、僕のことユキネは愛してなんかないんだと言った。ユキネはオサムの話を聞かずに画面に映っているオムライスを見ていた。白い皿に乗ったオムライスの上にハート型にトマトケチャップがかけられ、その横にクレソンが添えられている。なぜオムライスを作るのに料理研究家が必要で、トマトケチャップはハートなんだろうとぼんやり考えているとき、オサムが、僕の話を聞いているの?と手を握った。

「ユキネ、僕は本当に愛しているんだよ。ユキネの為ならどんなことでもできるんだよ。それなのに、ユキネは女なんか犯して、ねえ、レイプのことが本当なのか嘘なのか、何も教えてくれないじゃない。僕の気持ちなんか全然考えてないんだよ」オサムは大きな瞳に涙を溜めて唇を噛締めている。

「レイプはしていない」ユキネが言った。

「あの子が自分から言ったんだ。僕の好きなように私を犯してもいいって。だから、僕は好きなようにした。ただそれだけさ、レイプじゃない」

オサムが、ユキネの肩に頭をもたれて大きくため息をついたとき、画面がオムライスのレシピを書いた白いボードから、またユキネの住むマンションに変わり、赤い文字でロック歌手レイプ!?疑惑とテロップが出て、次に女の子が映し出された。

 薄暗い部屋でソファーに座り、レポーターが差し出すマイクに向かって話す後ろ姿の映像に、白い文字で激白!今真実が明らかに!?と、テロップが出で、すぐにコマーシャルに変わった。ユキネは、マルボロに火を点けると煙を深く吸い込み目を閉じた。微かにタバコを持つ手がが震えている。オサムの鼓動が速くなっていくのがよりかかっている肩から伝わってくる。

「ボリーム上げようか?」オサムが小さな声で言った。

「そのままでいいよ」ユキネが言った。

目を開けると画面には赤いミニスカートを穿いた膝の上に白く小さな手が映し出されていた。左手の小指に紫色の小さな石が乗った指輪をしている。この指輪の石の名前をユキネは彼女に聞いた。画面は太ももから下の網タイツと赤いハイヒールに変わり、画面下センターに小さい白文字で〔仮名 木村ゆうこ〕とテロップが出た。ユキネは彼女の名前が本当に木村ゆうこだったら何もしなかっただろうなと思った。彼女の本当の名前は村上ユキカで、ユキネの二つ年上の姉と同じ名前だった。仮名〔木村 ゆうこ〕のピンク色の唇がレポーターの差し出すマイクを舐めるように、ゆっくりと動いている。

この唇が僕のペニスを噛み切ろうとした。ユキネは唇の隙間から見え隠れする小さな白い歯とピンク色の舌を見てペニスに血液が集中していくのを感じた。オサムは何も言わずに画面を見つめている。ユキネが持っていたマルボロの灰が白い絨毯に落ちた。そう言えば、仮名〔木村 ゆうこ〕の吸っていたタバコの灰もこの部屋の絨毯に落ちたなとユキネは思い出した。

「オサム、人を殺したことがあか?」ユキネはソファーから立ち上がると、テレビのボリュームを上げた。

テレビのスピーカーから聞こえてくる仮名〔木村 ゆうこ〕の声はディズニー映画に出てくるウッドチャックの声にそっくりだった。レポーターの質問にハイとかイイエとかチガイマスとか答えている。

「ねえ、ユキネ、今、なんて言ったの?」

「殺したことがあるかって言った」

「なにを?」

「人を」

「人?」

「そう、僕は人を殺したことがあるんだ」ユキネが言った。

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