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短編「幼虫」 エナメルの夜を泳ぐ魚たち

 足の指をしゃぶっているといつも思い出すことがあって、それはね、私が5歳の時に父と行ったデパートの9階にあるペットショップで見たカブトムシの幼虫。

 父は、街の中心を流れる大きな川沿いに建つ、街で一番大きなデパートの十二階にあるレストランの窓側の席でナポリタンを食べながら廃虚になった造船所のドックに放置されている、錆びて船首が崩れて骨組みが剥き出しになった捕鯨船を見るのが好きだったから、私は、父の機嫌がいい日にはかならずデパートのレストランで食事をしていたの。

 9階の一角にあるペットショップは、いつも人が居なくて、エアーポンプのブーンっていう重い音が小さくフロアーに響いていて、チワワとかプードルとかアメリカンショートヘアーとかダルメシアンなんかは売ってなくて、金魚やフナやメダカやカブトムシを売っていて、父は川魚の臭いが嫌いだからいつも9階に来るとショートホープを沢山吸ってしまうの。  

 小さな透明のプラスチックのケースの中で、カブトムシの幼虫はぶよぶよとしたクリーム色のウインナーみたいな小さな体をもぞもぞと動かしていて、その小さくて軟らかそうな体を手のひらの上に乗せてみたら、ぶよぶよの皮膚は思ったよりも軟らかくはなくて私はちょっとがっかりしたの。

でも、手のひらの上で丸くなっているクリーム色の塊を握り潰したらきっと硬い皮膚の中からふわふわのマシュマロみたいなピンク色の柔らかくて甘い匂いのする可愛い幼虫が出てくると思ってそう思うとなんだか私は父が教えてくれた海の神様になったような気がして海の神様はとても綺麗な女の人で漁船に女の人が乗ると嫉妬して魚が捕れなくなるから私は一度も父の船に乗ったことがなくてだから幼虫は小さな船で私の手のひらの海で溺れさせてあげようと思って握り潰そうとしたら頭の後ろからいつもの声が聞こえてきてそれは私のお姉さんでお姉さんは私が3歳の時に私の頭の後ろに住むようになってお姉さんは私の本当のお姉さんじゃないのは知っていたけど私が生まれる2年前に母が流産したのは知っていたから私は私の頭の後ろに住む声をお姉さんにしてあげてお姉さんの言うことには従うことにしていたからやめなさの声で私は握り潰すのを止めたの。

 赤坂の虎ノ門にある、アメリカ大使館の近くにあるホテルのスイートに呼ばれて、赤い皮のソファーに座り外国の雑誌を読んでいる男の前で四つん這いになりながら、お尻を高くあげて左足の小指を口に入れた時に感じた舌の感触が、手のひらの上で丸くなっている幼虫の感触と同で今この指を噛み切ったらきっとふわふわのマシュマロみたいなピンク色の柔らかくて甘い匂いのする可愛い幼虫が出てくると思ってそう思いながら男の顔見上げると、男の読んでいる雑誌の表紙の女の人と視線が合って雑誌の女は黒くて長いサラサラの髪で赤い唇の下には小さなほくろがあって緑色のクリスタルのような綺麗な瞳をしていてきっと私のお姉さんもこうゆう人だろうと思うと嬉しくなって少し声をだして笑ってしまったら、男が雑誌を読むのを止めて足をしゃぶっているのがそんなに嬉しいのかって聞いたから、私は「はい」って答えたの。

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